科学野郎マーシャンガイバー

三日坊主

 すっかりスペクターの感想を放置していたの忘れてたんですが、ううむ、やっぱりモチベーションというかやる気が極超音速で消えて無くなる人間なので、ハイ(反省はしていない
やっぱ長文は書けんなぁ。無理だなぁ。

劇場版火星の人

 というわけで観てきました、原作未読なのにしつこく火星の人呼称してますオデッセイ。
 だいたいの話の筋はもう知ってはいたんですが、なんか想像以上に「科学バトル映画」でビビる。文字通りのライトスタッフ、明白な才能と技能を有するプロフェッショナル集団が、過酷な火星問題とド正面から殴り合う。本当にあたまのいい人達(小並感で申し訳ないが、NASA/JPLの人達は本当に「有能・バケモノ」だ)が血反吐を吐きながら必殺技を思いつくので、ハタから観ている頭の悪い俺はヤムチャ状態になって感動するしかない。襲いかかる難題に、如何にして挑戦し克服するか? 導かれる解答が天才過ぎるあまり、一周回って狂気の沙汰にしか見えないという。
 どなたかがツイッターで「ワトニーには妻子がおらず両親の描写も略されていて、アメリカ映画にしては珍しい」的なことを仰っていたんですが、その意味で言うとこの映画は(しつこく繰り返しますが)科学バトル映画、そういってよければアクション映画の文脈だと言ってもいいと思う。アレよ、ひたすら犯罪者ビルの中で殺戮を続けるザ・レイド1を観て「妻子の感動シーンが足りない」は言うまい。いやザ・レイドにだってキチンとした兄弟愛や感動シーンはあるし、2はさらにドラマ方面へ注力して十二分に成功しているが、要はバランスの問題/そのバランスが別に批判される部分ではないという問題である。オデッセイは明らかにザ・レイド1級のストロングスタイル、全編ひたすら戦い続ける(少なくとも重心バランス取りとしてそっちに偏っている)フィルムであり、その戦い方・ヒサツワザの素晴らしさ、それを放つ宇宙開発の戦士達の有様を楽しむ映画と化している。
 原作からしてそうだったのだろうが、それがたぶんリドスコの性癖とも上手く合ったのだろう。情況(シチュエーション)が撮りてぇ!異質な物同士の衝突(ここでは人類と火星だ)を撮りてぇ!というとき、火星の人という原作は結構ガッチリはまったのではないか。
 そういうわけで、いやドラマ部分も決して蔑ろにはされていないんですが、「具体的な扱い方・取扱時間」としてはずいぶんテンポ良く処理している。そうしてまたバトルに専念するという。プロフェッショナル共の死闘ダラダラ観ていたい、という俺みたいなめんどいオタクにはたまらない映画でした。
 映像的には、冒頭が妙にプロメテウス改だったり、手術がジェイソン・ボーンvsプロメテウス改二だったりして変に笑っちゃったんですが、流石にリドスコだけあって変な部分とかはない。まぁブレランのロス夜景とか天国王国の「地平線から現れるサーラッフディーンの軍勢の灯火」みたいな「うおおおお」ってなるフック美景はないかな?と思ってたんですが、後半の火星ロードムービーとか(あんな砂漠だらけの絵面なのに)結構素敵。音楽は基本ギャグ要員かと思いきや、デヴィッド・ボウイのスターマンには完全にやられました。アレはズルいだろ、アレは。
 総じて言うと、本当に大傑作だけどコレ本当に万人向けなの?というわずかな不安もある大傑作でした。いやしつこく書くけどコレマジで全編バトル映画なんで、そこんとこ好み分かれるんじゃないか?という。科学知識が難しい、というのは意外と問題なくって、そこは正直わかんなくても何とかなるような映画になっておる。問題なのは、これが本当にプロフェッショナル達の、ユーモアを忘れないマーク・ワトニー&地上で宇宙で全速力暗中模索するスタッフ達の、本当にバトルシーンに重点し過ぎている映画だということだ。俺にとっては超絶最高なのだが。

【補足】宇宙に挑む英雄、という文脈について

彼らの、その魂は、間違いなく英雄として称えられる資格を持っているだろう。
彼らは英雄だ。

けれど、その英雄たちの名前をどれくらいのひとが知っているだろうか。
ついこのあいだ、宇宙開発の墓碑名に刻まれた7人の名前を、どれだけのひとが知っているだろうか。

――伊藤計劃


 そういえば、この火星の人akaオデッセイは正しく「宇宙開発に挑んだ英雄のおはなし」なんだよな。むかしむかし、88年生まれの俺よりもっとむかし、宇宙に挑むひとびとは大文字の英雄だったのだという。ガガーリンオリジナルセブン。そして事故で亡くなられた方々と、無事にミッションを完遂した人達。その人達の「感触」が完全に歴史になってしまった21世紀にこの映画という。
 「インターステラー」はこの件にややメタ的に言及していて、「宇宙開発とかお金の無駄でしょJK。そんなんで地球救えんの?」「うっせぇサターンVぶつけんぞ!!救えるに決まってるんだろうが!!宇宙飛行士は英雄だ!!」という物語だった(インターステラーの言う英雄はどっちかっつーとスタトレとかロビンソン一家的な感じも含んでそうだが)。ウルトラマンジャミラも結構モロに隣接している話だよな。ジャミラは見捨てられたマーク・ワトニーであり、その墓には確か「人類の夢と科学の発展のために死んだ戦士の魂ここに眠る」と彫られていたんだったか。
 宇宙と英雄、については伊藤計劃氏のポリスノーツのアレを読めばいいので、俺がここで二度三度書くことはすまい(←いやエピグラフっぽく引用二度書きしてんじゃねーか!)。火星の人は英雄の名前を墓碑銘に刻まなくてもいいようにするため、英雄自身も彼以外の英雄も奮戦する話、そう言ってよければアポロ13の正当後継者なのだ。優秀な頭脳と最先端科学(あとなろう小説でおなじみジャガイモ)で武装し火星に挑む英雄達。それが2016年という時代に公開されたのは、ちょっと不思議ではあるが、たぶん喜ばしいことなのだ。
 っと、ここまで書いておいてライトスタッフ観ていないのは結構マズいことに気がついた(滝汗)。