シン・ゴジラ(ネタバレ感想)

戦うということ

 一作目・初代ゴジラのラスト。異端の博士がもたらした悪魔の技術。オキシジェン・デストロイヤーは核兵器をも越える危険になりかねない。人類はその力を以てしてようやっとゴジラを抹殺し、博士もまた海に消えた。


 だから本当は、「アメリカがゴジラ核兵器で攻撃しようとしています! ギャレゴジに続いてまた!!」「な、なんだってー!?」などと騒ぐ"権利"など、初代以降のゴジラ映画にも観客にも無いのだ。
いやこれはもちろん言い過ぎなのだが、人類は既に"核に互する禁忌を、やっちまったあと"なのである。ビオランテもそうだろう。だから真にやっていいこととは、核にもオキシジェン・デストロイヤーにもビオランテにも頼らず、ゴジラに如何にして立ち向かうか、という主題なのだと言えなくもない。
(そういってよければ、人類はスーパーX系列やメカゴジラ・モゲラがゴジラを打倒できなかったことをもっと真剣に憂うべきかもしれない。機龍はよくがんばった。抗核バクテリアはもっと真面目に研究すべきだ)


 シン・ゴジラでの異端博士役の人物が行方不明なのは、そういうことなのではないか。


 そしてあの決戦は、決戦に至るまでの奮戦七転八倒は、「いま、ここ」から出せうる限りの回答なのではないか。
 いまここで何ができるのか。それはシン・ゴジラに対して歯が立つのか。勝てるのか。対抗できるのか。


 できる。できるのだ。そういう映画がシンゴジだったと感ずる。


 予告編を見れば今回のゴジラが311だというのは分かりきったことに思えるかも知れない。またゴジラシリーズとしても"お馴染みのアイツが復活した"と思えるかも知れない。けれども、そういう"油断"を粉砕するところからこの映画が、真の「想定外」が始まる。なんだよアイツ、ゴジラじゃねーじゃん!!ゴジラ復活311メタファーじゃねーの!?と動揺することが、観客が災害に見舞われることと一致する。会議中略とか「上陸しちゃったの!?」とかで笑っていられたさっきの瞬間からここへ。
 そこからはひたすら悪夢と衝撃のオンパレードになる。こんなの知らなかった。こんなの想像できなかった。ポケモンみてぇに進化するとか聞いてねーよ。なんで避難完了してないの。その衝撃は、今までのゴジラに見慣れてきた人こそ強く受けるはずだ。ゴジラに通常兵器は効かないという常識を、観客はいつのまにか忘れる。忘れたふりをして多摩川決戦を観る。いやコレ通常兵器効かないとマズいっしょ、といつの間にかのめり込んで心配する。会議と会議と会議という悪癖を乗り越えた先に、自衛隊が実際に怪獣と戦う時は頭部と脚を狙うぞという与太話がフィルム上で現実になり、米軍の貫通爆弾なら流石に怪獣の皮膚だって貫通するでしょという常識感がフィルムに叩きつけられる。


 そう思ってスクリーンを見つめていたら、襲ってくるのはあのイデオン無双だ。


 ゴジラが対空拡散ビーム撃つなんて聞いてねーよ!という不条理。そうなのだ。54年に初めてゴジラを観た観客のひとびとが、その直前まで"かいじゅう"という概念をどれだけ知っていただろうか。空襲の記憶がそういう形で再び襲ってくるなんて誰が事前に予想できただろうか。東北の海からあんな大地震が起きるなんて誰が知っていただろうか。
 けれども現実は起きてしまった。原発が事故を起こすことを想像していなかった政府がー東電がーとよく言うが(また、言うことそのものには問題無いが)、じゃあお前は実際に想像できていたのか?とシンゴジは問うてくる。
 いや無理でしょアレは。


 けれども、映画の登場人物達は戦いをやめない。最初から最後まで戦い続けてやめない。正直言って戦略的には最悪の映画というか、最悪手以外に選択肢が無いという酷い映画ではある。劇中でわざわざ台詞で「第二次大戦時の日本は慢心油断フガフガ」って言ってるくせに、決戦の作戦が「あと弐千万特攻を出せば日本は勝てます!!」寸前じゃん。寸前であって完全同一ではない、という点を絶対に忘れてはいけないにせよ。本当にそれ以外に選択肢が無いという悲劇が前提であるにせよ。
 しかし前提を差し置いてもなおその悪手を取らねばならぬのは、ひとえに悪手を越えた悪手、核攻撃をなんとか阻止する・・・というか、核に頼らず人類がゴジラを撃退してみせなければいけないからだ。本当に、本当の意味で日本国残党勢力がゴジラに立ち向かうということだからだ。同じ二の舞、とはよく言うが、じゃあ同じじゃないやり方とは何だ?と、画面に出ない行方不明の異端博士は日本残党を試しているのだろう。


 オキシジェン・デストロイヤーに頼らない戦い方。核兵器に頼らない戦い方。
 フランスに頭下げたりとか全国の研究機関・工場に無理言ったりする戦い。必死に掻き集めたサンプルで薬品のテストをする戦い。放水車とタンクを掻き集める戦い。挙げ句は圧制者の筈の米国からさえ増援が来る始末(プレデターのバーゲンセールし過ぎでしょアレ)。その結果があの衝撃の最終決戦、あのJR大号泣の無人電車特攻爆弾と、どう考えても決死隊の誤字にしか思えない建機隊(機材は民間から借りました)だ。
 ドロ臭い。みっともない。それでも「いま、ここ」の人類が到達した、これがオキシジェンにも核にも頼らない戦いだ。安直な方法に逃げない、日本残党の本当の戦いだ。電車特攻と建機隊は、もはや演出としてはニンジャスレイヤー級の惨劇(ノリ・レベルとしてはフロッピー殺や野球一回表256点ぐらいじゃんアレ)だ。シラフでアレを観たらギャグにしか思えないだろうが、あの場・あのフィルムではもうあれが最強唯一のシリアスなのだ。そして建機隊の第一小隊は全滅し、一人も生き残らない。間髪入れずに次々と建機第二・第三小隊が死地に投げ込まれる。


 本当はあの膨大な犠牲を前に喜ぶべきではないのだろう。それでも、あの政治ドロドロも科学も決戦も人間がやったのだ。人間が、過ちに頼らないで、人間の手で決着をつけたのだ。


 最終的にゴジラ倒してねーじゃん、というのは本当にラストとして素晴らしいと思っている。どうあがいても人類はあの災害から逃れることはできないが、なんとか共存していけるようになった。多分それは、単純に倒すより、美しい終わり方だ。


シン・ゴジラ、個人的な燃え萌え&泣きポイント

・日本政府、基本的にダメな人がいないので泣く。ダメな習慣や制度はあってもダメな人はいない。あと自衛隊のピエール滝も良い味してる。
・主人公の友達の「まずお前が落ち着け」でガチ泣きしたのは俺だけじゃないでしょ(断言)。宇宙一かっこいいデブ枠に、また一名・・・(※現在までの登録者:ヘルシングの少佐、シュタゲのダル、実写部門だとラジニカーント様とデルトトロとPOIイライアスとウォズ)。
農水省大臣の「避難とはそこに住んでる人々に生活を捨てさせることだから、簡単に言わないでほしいなぁ」に泣く。切れ者昼行灯な人だからってだけでなく、農水省で地ベタを皮膚感覚で知ってる人なんでしょうね。実在性・・・デレマスアイドルのような実在性・・・。
・すわ普通に反米映画か、と思ったら変な位置でバランス感覚を発揮して妙な気分になる米関係描写。個人的には、駐日の米高官の、ギャグめいた逆光悪役カット場面(旧劇エヴァの第二東京かよ)で滲み出る「いや言うほどあんまし日本に核攻撃したくねぇんだけどなぁ」感はちょっと好きだぞ俺。
・「これは本当に日本のお役所描写なのか?こんな人達がこんなにスムーズに集めてもらえて部屋もらえるのか・・・?」と不安になる、政府直轄最強オタク軍団は不安になりつつも萌える。
・上では「いまここ人類の力vsゴジラふがふが」って書きましたが、いえね、ご都合主義(不明博士の不親切ヒント)とか幸運スゲーよなこの映画っていうのは流石に認める。半減期なんだよそれってのはギャグ扱いしてもいい。しかしこれぐらいの「ハンデ」はほら、人類には欲しい。