君の名は。(ネタバレ多めのためツイッターで書けない補遺)

「作戦の名前を言ってみろ」「神酒がポイントだから"ヤシオリ作戦"で」

 実を言うと、君の名は。観る前に一番懸念していたのは、俺が童貞とかどうとかそういう問題よりも「なんかシンゴジに続いて311ネタ映画らしいけど(そこだけ軽度のネタバレを喰らっていた)どう対処するの?」という部分だったりした。タイムスリップして滅亡の危機を叫ぶが誰にも取り合ってもらえない・・・という話、いったい何のアニメだったか、俺の頭のなかでぐるぐると蠢いていてタイトルが思い出せない。まさに君の名は、である。オカリンとほむらちゃんも大変だったなぁ。サラ・コナーなんか精神病院直行だったじゃん。


 そういうわけで、いよいよ「対処」のハイライトとなっていった場面でまずおばあちゃんが三葉ちゃん/瀧君の状態に気がついたこと、その上で信じて貰えまいという常識的な話をしたあたりはかなり嬉しかったというかホッとした。作劇の流れとして、対処前にこの流れがあったということが、どれほど心強く安心できることか。おばあちゃんのおかげで三葉ちゃんは大恥かかずに済んだわけである。今話題の共感性羞恥ってアレ、割とシャレじゃねーしなっていうのも大きい。


 その後「具体的にどうするか」という部分もまた本当に美事であった。そうか、その手があったか。ツイッターで散々しつこく書いた伏線の話がついにここで炸裂するわけだ。炸裂のさせ方がこういう風に上手いわけだ。やってくれた楠、新海誠ォ・・・。恐らくは繭五郎の大火もそういうことだったんじゃないか、とさりげなく推測させてくるのもイイ。そういや本尊がやたら遠いのもそういうことなんだろうな。繭五郎さん大変だったねぇ(涙)。


 若干不思議なのは、震災映画という(雑な)枠組みで考えたときこそ、シン・ゴジラ君の名は。に妙な共通点が浮き出ることである。震災映画という共通点ではない、「震災に具体的にどうやって立ち向かうか映画」という共通点だ。アイツら震災に挑む気だよおいおいマジか・・・ってワケだ。


 単に震災映画というだけなら、それこそ震災で亡くなった彼女への想いが〜とか、そういう平凡な(いや何も平凡じゃないんだが、すまん、ここは悪意のある書き方をさせてほしい)ドラマもある。幽霊と交信したりもう二度と会えない切なさを慈しんだりしてもいい。だがシンゴジも君名も決してそういう方向には行かず、オラァ血液凝固剤!!オラァ町内放送!!オラオラァ!!と全力で殴りかかっている。もう一度書こう、「アイツら震災に挑む気だよおいおいマジか」。2作とも奇跡に祈らず、地震を止めるという超展開にも甘えず、できる範囲——少なくとも観てる観客が「できそう」「これは・・・イケるんじゃねぇか・・・!?」とスムーズに思える範囲での対処法で全力で殺しに掛かってくる。


 俺個人の性癖としては大歓迎なのだが、ただ世間として/ふたつの作品としてなぜそのようなストロングスタイルを取ったのかがよくわからない。これはたぶん、「セカイ系の主人公の無力感が時代によって忌避されて〜」とか「これがポスト決断主義ですよ〜」とかいうありきたりな結論で片付けるべきではない。あえてべき論で書く。シンゴジも君名も、きっとそうではないのだ。じゃあなんなんだ、というのがわからないが。311に半人災という誤ったイメージがまとわりついてる、つまり「ああすればよかった、否、俺達ならああできる」という不遜な誤解でもあるのだろうか。
 違うな。絶対に違う。それならもっと作品の手つきが下品を極め、俺TUEEEな酷い作品(なろう系というより、俺らがなろう系を読まずに揶揄する際の架空の俺TUEEE作品的な意味だぞい)になっているはずだ。阪神の後もそうだったんだろうか(そういや俺、かえるくんもJDCシリーズも未読なんだよな)。


 誰でも願うことはできるが、願いを実装するのは難しい。実装して望む結果を出力するのはもっと難しい。シン・ゴジラ君の名は。の2作は、言わば「難しいチャレンジをガッツリこなすプロの人の物語」だと極論できなくもない。特殊な訓練を受けたスタッフによるエクストリームスポーツ。だから俺個人は大好きなのだ、と同時に、そのアンリアリティ——リアルとリアリティの違いを思い出して欲しい、そしてこれは「俺には身近ではない」という意味でのアンリアリティだ——にドン引きする人もいるのではないか、とも少し想う。巨災対のプロフェッショナルぶりとは違うが、瀧君/三葉ちゃんの活躍は、口噛み酒とラスト以外はどう観ても奇跡などではない、あの二人の実力だ


機動戦士ユアネーム Re:2016年の旅

 ここまで読んで頂いた奇特な方にはお分かりかと思いますが、俺が君の名は。でどうしてもピンと来なかったのが口噛み酒のくだりであった。いや、アレで入れ替わりがもう一度起きるのは全然構わん。ありゃ牧教授のデータだから別にいいんだ(違)。問題なのは、劇中で確かあの口噛み酒に「これは牧教授のデータだ」という解説がなかったことである。体の一部〜とか伝奇的な解説とかはもちろんあったが、そこで「・・・というわけで、呑むと想い人と想いが繋がるんじゃよ(※これは雑例です」とか、そういうレベルでの解説はなかったはずだ。いや俺が見落としただけか。いや糸の話はしてたけど・・・。


 つまり瀧君は、口噛み酒を飲めばどうにかなると「どうしてそう思った」んだろうかって話である。あれだけ伏線バリバリのロジカルな映画なのに。例えば、いえ揚げ足取りですけどね、アレ呑むんじゃなくって被災地の湖に捧げるとかだったらどーすんだよっていう・・・。


 ところで呑んだあとのトリップシーン、脅威の作画とお父さんの半生が混じってこれまた俺大好きな場面なんですが(「私が愛したのは神社じゃない、一葉だ!」って本当に良い台詞じゃないですか。女に恋し家族を愛したおとこの悲鳴、凄くいい)、ただガノタ的にはアレがどうしてもララァ死亡/フロンタル大佐と一緒にサイコ旅行/ELSと和解にしか見えず笑いそうになってアレだった。イイ場面なのに・・・本当に良い場面なのに・・・あとこの手の演出、厳密にはガンダムじゃなくて2001年が真のソースなのに俺・・・(←